きゅるり×

すきなものときらいなものを書いてくだけなかんじかも

命日「きらい」

4月、その月は1年の中で1番きらいな日がある。お父さんのいなくなった日だ。


今年は三回忌だった。よくわからないけど2年経つと三回忌になるらしい。1年ばかり気がはやいがそういうものらしい。

お父さんは堅苦しいことが心の底からいやな人で、冠婚葬祭は自分の結婚式ですらイヤイヤであったとお母さんから聞かされていた。もちろん自分もお父さんがそういうのをいやだいやだというのを見ながら育ったから知っている。
なのでいなくなった時の式は親族だけだったし、今回の三回忌に至っては家族だけである。


今年は天気のいい日になった。お父さんならテニスに行かなければと言い出すであろう風も落ち着いてよく晴れた日だった。


お坊さんと斎壇だけのかんたんな三回忌で、それ自体にはまったく意味なんてなかったが、何故かお坊さんが何かを唱え始めたら泣けてきてよくわからない気持ちになった。いやわからなくなんてなくて、お父さんに会いたいとおもった。


つらかったときに周りにいた人にどうすれば辛くなくなるのか聞いたら、時間の問題だといわれた。うそだった。少なくとも2年じゃなにもマシにならなかった。もしかしたら何十年も必要なのかもしれない。ただ、考えないようにすることだけは格段にスキルがあがった。まぁそんなものなのかもしれない。


お参りしたあとは、家族で過ごした。そんなことがなくても家族でいることが昔からやたら多かった。家族中みんな見栄っ張りだしガンコだし自己中なので、家族でいるのが素でいられて1番ラクなのだ。そんな中でお父さんがいなくなって家族それぞれ変わっていったことがある。あんまりよくない方に。でもたぶんそれはお父さんがいないとどうしようもないことばかりだから仕方ない。


人がいなくなるってのは現実じゃなにもきれいごとで終わらせられなくて、しかも自分が世の中からいなくなるまで終わらないから、もうやだな。どうしたらいいんだろう。お父さんはやくかえってこないかな。てなことを考えながら考えないようにしながら、5月からもがんばらないと。